伊野尾慧くんのアイドル性について

突然ですが。

中島健人くんに突如魅せられ気持ちの悪い文章を一万字文打ってしまうような気持ちの悪いタイプのヲタクなので、伊野尾慧くんに新規ハイの今、今回も自担のこんなところが好き!を書き殴りたいと思います。(定期的に吐き出さないと死んじゃう体質)

 

 

とはいえ「伊野尾慧の好きなところ」全てに言及していたら正直キリがないので、個人的「伊野尾慧の好きなところ」のうちの、ある一部分にのみ的を絞ってみることにしました。

今回は伊野尾慧のアイドル性について焦点を当てた記事を書こうと思います。(私もやっと学習しました)

 

 

 

私は伊野尾くんの「アイドル」な部分がとても好きです。

 

伊野尾くんに興味を持ち始めた当初は どうしても元担である「あからさまアイドル中島健人」を基準に考えてしまい、それと比べて勝手にアイドル濃度の低い人だと思っていました。

 

しかし、その考えはものの見事に覆りました。

 

 

 

 そもそも私がどうして伊野尾慧のアイドル性について語りたくなったのかというと、7月4日らじらーサタデーの放送を聴いたのがきっかけです。

アイドルとしての伊野尾慧に関して前々から感じていた、漠然と抱いていたイメージが具現化された気がしたのがこの放送でした。

同番組における『今夜、アナタを口説きます!』という「物(サボテン・けん玉・タンバリンなど)を口説く」コーナーについての「伊野尾くんの口説きはいつもギリギリなくらいセクシー」というリスナーのお便りに対し、 「下ネタ言わないよ」「セクシーではないんだよ」「これがセクシーに聴こえているというあなたがいやらしく考えてるかなってことだよ」と応える伊野尾慧くんが私の心を掴んで離さなかったのです。

 

これだ!!!と。

 

そのときの興奮している様子がこちら。

 

 

 

このトークの、いったい何が私の心にこんなに刺さったのかと言うと、「穢れなきアイドルと不純なヲタク」という関係性を提示してくれたからです。

 

私にはJUMPってジャニーズの他のグループと比べて下ネタ要素が極端に少なく(裏では言ってるんでしょうがあくまで公の場での話)、「下ネタ」認定のハードルも低いように思えるんです。

そのなかで伊野尾くんは比較的下ネタ発言が多い印象を受けます(JUMP比だから一般的には普通レベルだが)。

 

しかし、伊野尾くんの下ネタって多くの場合が直接的なものじゃないんですよね。いつもいつも「そう捉えることもできるね」というギリギリの境界線を攻めてくる(わかりづらいね…説明が難しい…)。

だから受け手が気付かなければ何事もなかったかのように流されるし、気付けばそれを下ネタとして捉える受け手が邪推しすぎなんだ!と言い訳ができる。これが非常に巧妙(笑)

 

うーん、というかもう、どう考えてもそれだろ!確定だろ!というものですら強引に「下ネタじゃないよ!」を貫くスタンスなんですよ。

 

 なんというか、バナナの先端に穴をあけてそこから練乳が垂れている、だとかソーセージの端にミートボールを二つ置いてさらにひじきが添えられている、などという料理を出されるみたいな明らかに狙ってるんだけど、それ自体はただの食べ物でしかないから胸を張って「★男性器★」って言えない感じ。料理を提供してくる本人は頑なに「☆男性器☆」って言ってこないからこちらは何も言えない感じ(例えがあまりに下手すぎて自分でも愕然としてる)。

そしてこっちが「それって男性器!」とか指摘しようものなら「そんな意図ないんですけど…何言ってんだお前…」って悪者にされる感じ。

 

 

とにかくこの感じが私はもう心地よくて仕方がない!!!!!

 

 

 

 

基本的に、この世界の男女の関係性は視る主体と視られる客体という構造を取っています。観察しジャッジする主体男性と、その客体女性です。

 

超超超~簡単にいえばお化粧して綺麗に着飾って視られる客体としてのアピールをする女性に欲情し、そんな女性に対して働きかける男性という関係。

基本的にこの関係が覆ることはなく、女性が能動的に動いたとしても能動的に積極的に客体として選ばれること方向へ進んでゆくことになります。(男女のつがいの関係では。腐女子視点をもって覆るけど。)

 

男性アイドルとファンの関係でも、基本的にそれが変わらないんだなぁってのはつくづく感じてて。

 

女性の「アイドルらしいアイドル」は、ステージ上でキラキラ輝いて「私が主役」「私が姫」でいてくれるようなイメージを勝手に抱いてるんですがどうなんでしょうか?(女性アイドル事情に明るくないので的外れだったらクソごめんなさい)

一方で男性アイドルは多くの場合「俺は王子」であると同時に「ファンは俺の姫!みんな可愛いよ!」な気がするんです(この違いわかりにくい…)。

 姫は単体で姫として成り立つけど、王子は姫が居ないと王子になれないんだなぁって。

 

私は男性に対してもアイドルには本人が主役で王子で姫であってほしいんですね。

男性アイドルがいくら美しくかっこよく気高い存在であっても、結局「キラキラするのは女で、それを磨き、輝かせ、引き立てるのが男!」という構造・価値観はどうやってもひっくり返らないのかなぁ…とモヤモヤしてしまうんです。

 

ぶっちゃけ私たち客が可愛いとかお姫様だとかどうでもよくて、というかむしろそれがポジティブなものだったとしてもそうした価値基準で語られたくなくて、客体性から解放されたくて、そんな気持ちから男性アイドルにキャーキャー言っているので「お前がかわいけりゃそれでいいんだよ(憤怒)」という気分になってしまうのです。

(私が知らないだけで女性アイドルも「私可愛い!」するのと同時に男性客を王子に喩えたり「みんなかっこいいよー!」って褒めたりすんのかな。そういうもんならすまんかった。)

 

「胸キュン」を狙うなら女性を客体化することで、自らの主体としての魅力的価値を高めるのは男性である以上仕方のないことではあるんだけどね。*1

 

伊野尾くんは、「汚い豚として美しい男性を崇めたい」という欲求を叶えてくれるところがあるんですよね。

 

 

男「男性器!」(汚れ役)

女「何言ってんのもぉーーーー!><」(まともな人)

 

↑この構造に飽き飽きな私は↓こっちを求めているのです。

 

男「バナナ練乳!」(純真無垢)

女「それって男性器?」(汚れ役)

男「えっ・・・」(まともな人)

 

 

実際、伊野尾くんが純真無垢に「バナナ練乳」を伝えたいわけではないのはわかっているんですが、そんな茶番を演出してくれることを含めてこの構造が私にとって心地いいのです。

 

(やばいめっちゃ馬鹿馬鹿しくなってきた…) 

 

 

バナナ練乳を伝えたいこと以外、発言に何の他意もない清廉な伊野尾くんを身勝手で邪な欲望で穢してしまうド変態人間でごめんなさい!

私たちに罪をなすりつけてくれてありがとうございます!

 

というように、私たちは下賤な商人として、ノンオシャレ女子として、安心して伊野尾くんを崇めることができるのです。(だがハッキリとペニス連呼する伊野尾慧くんも美味しく頂く。「下ネタじゃないもん立派な学術用語だもんいやらしく感じる貴方の心がいやらしい」って言ってほしい。)

 

 

伊野尾慧のアイドル性について語るうえでもう一つ重要な要素が「掴みどころのなさ」だと思うんですが、以前もちらっと書いたので割愛します。

 

tsuguminn.hatenablog.com

 

要は自己顕示欲があまり感じられず、その必要性のない部分では真理を言わずにうまくはぐらかしてくれる性格のおかげでこちらは傷つくことが少ないし素直に楽しくエンターテイメントを享受することができるよね!って話です。

好きなタイプとか真剣に答えないところが素晴らしいよ、っていうね。

 

 

伊野尾くんは特にアイドルだから、という意識せずに振る舞っているように見せていますが、その実、アイドルとしての勘の良さ(アウトとセーフの線引きが本当に上手いと思う)やプロデュース能力(愛追I隊のC&Rやペットショップラブモーションのアイデア提案など)に長けているように見えます。

それは恐らくアイドルだからというより、彼が販売員だったとしても消防士だったとしてもプログラマーだったとしても教師だったとしても同じように優れていたであろう柔軟性や客観性、適応力、状況判断力などに依るものなんでしょうが。

 

  伊野尾くんは、実際本人の言う通り本当に自然体なんだろうし、見ている側もやっぱりそこまで「アイドル」としての気負いは感じないんだけれど、「アイドル」という職業を特別視・神聖視していないだけで、「職業人としてのアイドル」を日々、当たり前にこなしてるんだなぁと実感させられます。(だからなのか、ときどき「アイドルってこんなことするよね!」みたいな「パロディ・アイドル」をしているように見えることがある。私だけかな…)

「アイドルだって人間なんだよ!」と必要以上に反抗してみせたりしないで、本当にただのプロとして自然体で。

 

 

 

 

そしてそして、最後に言及したいのが、それらのOh!アイドルっぷりを顕在化させようとしない点について。

 

 

彼は雑誌で、ペットショップラブモーションについてこんな発言をしていました。

 

 

インタビューを読んだ私の反応は

 

こんな感じでしたが、冷静になって考えると、私たちに認識できる範囲だけでも随分と可愛い可愛い言われてるわけで…そんな状況で自分が可愛いことに気付かないなんてやっぱりあり得ないですよね?気付かないわけがないですよね?

それなのに気付かないフリをするのか、伊野尾くんよ。

 

伊野尾くんは物事を俯瞰で見ることに長けているし、昔の画像・映像を見ると今より断然男っぽくて、「自然と」年々可愛くなっていったとはちょっと考えにくいと思うんです。事務所の人や周りの意見なんかもあるんだろうけれど、自分の顔面ポテンシャルや需要・価値などを理解して、意図的にそっち方面にシフトしていってると考えた方がいいのではないかと思えてきました。

 

伊野尾くんは自分の顔が可愛くそして格好良いからって「どうだ格好良い/可愛いだろ」と自信過剰になったり無理にナルシストキャラに持っていったりするでもなく、「男らしいと言われた方が嬉しい」などと拒絶するわけでも「俺の内面的な部分を観てほしい…」と捻くれたりもしません。他人からの評価をさして気にしてないけど、それらを的確に読み取ってただ事実として受けとめている感じ。

 

露出ラッシュで自分のキャラクターをどんどん売っていってる姿(建築アイドルものにしてたり、いたジャン初回の放送でいつもは否定する適当キャラを自らアピールしてたり、各雑誌の読者層に合わせた話題展開をしてたり)を見ても、やっぱり伊野尾くんはプロデュース視点を持っているはず。

それなのに「JUMPは9人もいるから4人くらい役割なくてもいい」「自分は役割ない」とか言う。(いやまぁ笑い取ろうとしてんのはわかってるけどな)(説明してごめんな伊野尾くん)

 

この辺りに伊野尾慧のアイドル性が顕われている気がするんです!(ここまで長すぎィ…!)

 

 

 

 アイドルがアイドルとしての仕組みを内側から語らないこと。

 それは即ち、種明かしをしないということです。

 

 

「僕はアイドルとしてこんな工夫をしています!」「僕のアイドル論はこれなのでこんなふうに夢をお届けしています!」と公言されることで、消費者は「ああこの人はプロ意識が高いな」とか「私の考え方にぴったりだ!」とか思うのかもしれないけれど(私自身もこういうアイドルが大好きだし)、それって「僕の提供している夢は夢ですよ」とばかりに、いわばマジックの種明かしをしているようなものです。

 

また、「この作品を発表したときの心境はこうでした」「こういう意図をもってこのような行動をするに至りました」という所謂「作者の気持ち」を公言してしまうことで、鑑賞者・消費者のそれまで抱いていたイメージを打ち崩し、限定してしまい、「作者の言う正解」として絶対的なものとして固定化してさせてしまうことになりますよね。それもさせない。

 

かの有名な(?)一万字インタビューでインタビュアーの誘導をかわし、「苦労した過去」を最後まで口にしなかった伊野尾くん。

 

あざとさでもって明らかに「萌え」需要を狙ってきているのに、「わざとじゃないよ」「狙ってないもん」を貫く伊野尾くん。

それがまたあざといんですが、これがまた冒頭の「下ネタじゃないよ」「そんなつもりないもん」の話に通ずるところなんですよね。(やっと戻ってきました…)

 

 「見ることができない裏側」の存在は私たちには認識し得ないのです。

夢を現実と思わせる、と表現するとかなり大きな語弊があるし、伊野尾くんは現実をちゃんと生きてることを常にわからせてくれて、ヲタクを無責任に現実逃避させるようなことは絶対にしてこないんだけれども、一人ひとりの夢や価値観を大事にしてくれている感がある。

 

やっぱり所謂「あからさまアイドル」ではないけれど、伊野尾慧ってプロアイドルだなぁと最近つくづく感じます。

 

 

 

 

 

 

あーーーーーーーーまーた長くなった・・・・・私に文章をわかりやすく纏めるなんて無理だったんだ・・・

 

 

*1:

性的アピールが目的のグラビアで、女性のヌードでは性資源を持ってるから単体で脱ぐけど、男性ヌードの場合は綺麗な女性と絡ませることがあるのが例といえるかな…

 あと男性向けエロ漫画は女性の身体などをよく描くけど、女性向けエロ漫画はたいてい男性の身体ではなく、女性の身体と共にそれに対して上気する男性の表などが描かれてる、っていう研究があるんだけど、それも関係してるはず…